今日はなんだか元気が出ず、大好きなダンスも休んでしまいました。
とってもいいお天気なのに。
お腹が痛いような、のどが痛いような、頭が重いような、疲れているような、いないような感じでとにかく元気が出ないのです。
というわけで、ブログ更新の時間はたっぷりありましたが、他のやるべき事はやっていません。夕飯の献立のめどはついたけど、役員の引継ぎ資料とか、借りた本とかDVDとかには手を付けてない。
ところで、唐突ですが、
将来の夢はなんでしたか。
私は
”新聞記者”でした。中学星の頃から、かっこいい”ブンヤ”に憧れていました。男だったら、もっと真剣にめざしていただろうと思います。
社会部とか政治部の記者がいいなあ。男だったら、
レーサー。正義のためにとか大義名分なく、毎回自分のために命掛けるって、単純にかっこいいと思ってしまうわけです。
どういうわけか、看護婦とかスチュワーデスとかにはまったく興味がなく、その点では、自分の性格分析はよくできていたのかもしれません。少し現実的になって、大学時代にはコピーライターになりたいと思って、某大手広告代理店に会社訪問もしたけど、あっさりと男の職場だからと、その女性に言われてまた、あっさりやめてしまいました。でもキャッチコピーとか作るのはいまだに好き。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
4年生になったとき、政治家の秘書がいいなと思い、愛犬の獣医さんとの世間話でそのことをいったら、元第一秘書(もちろん与党)という人を紹介してくれました。「資格はいらないけど、口が堅いことが条件」と言われてちょっと怖かった。そして、その人の紹介で、母と議員会館に行きました。でも、秘書は秘書でもたーくさんいる中の「お茶組」がお仕事。一日中来訪者にお茶をだすらしい。
「あの~お給料は?」ときくと、「お給料ほしいの?」と聞かれて、びっくりして黙っていると、「いくらほしいの?10万円くらい?」と言われて、これまた沈黙。「お給料ねぇ。きっともらうお小遣いのほうが多くなると思うよ、ワッハハ」と笑われてしまいました。
そして、ひととおり見学したので、母と議員会館を出ようとしたとき、後ろから背の高い男の人が声をかけてきました。その人は丁寧に名乗って、名刺を出し、そこの秘書であることを告げました。「おみかけしたところ、普通のお嬢さんのようにお見受けします。余計なことかもしれませんが、こういうところに勤めると普通には暮らしていけなくなります。世の中の裏側のこともたくさんわかって耳年増になってしまいます。結婚も普通にはできません」と言われたのでした。
母はこのアドバイスをとてもありがたがって、その人にすごくお礼をいっていた。
たぶんこの人の助言がなかったら、なんか成り行きでそこで「お茶組」をやっていたかもしれないなと今振り返って、そう思うことがあります。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
結局なりたいものもみつからずに、就職先を探したけど、受ける端から落ちてって、自己否定の毎日。
やっと拾ってくれたのが、ソフト会社だった。ソフトウェアってなんのことだかさっぱりわからなくて本当にひどい話。なんで、私がこんな
想定外のところへ勤めるのか~と人生呪ったけど、自分が悪いのよね。
入ってみれば、そんな悪い会社ではなかった。理系の人たちにはわりと人気があったらしい。入ってからもソフトウェア技術なんてさっぱりわからず、大学までいったのに、「私はなに?」って感じの毎日。おまけに高校卒の人で、あまり年が変わらない協力会社の男の人とかにいじめられるんだよね。「大学でてるんでしょ。だったら、一回説明すればわかるでしょ」とか言って。半年くらいしたら、慣れてきて冗談もいってくれるようにはなったけど、本当に社会人一年目は驚くことばかりだった。
ついこの前の出来事かと思いあれから、
今年はちょうど20年。結局10年もその会社にいた。高校時代はあんなに漠然と希望に燃えてたのに、仕事を仕事と実感できないまま、終った感じ。遊んでたね。お酒ばっかり飲んでね。でも、楽しかった。恋愛はいまいちだったけど、楽しい仲間と会えたからかな。
結局10年いても、その道の(SE)として、エキスパートにはなれなかった。なりたいとも思わなかった。結婚してもすぐにやめなかったのは、今になると不思議。
なんか居心地も悪くなってきて、父が病に倒れたので潮時と思って、やめたんだ。
結婚して、すぐに子どもに恵まれなかったので、はじめたのが
添削の仕事。
これが結構性に合ってたようで、今年で10年、少なくとも、下の子が保育園卒園するまでは続けるつもり。おととしはPTAの委員で、今年は子ども会の役員、4月からも別の役員が決まっているけど、これまで経験してきたことで、たいていのことは大丈夫。
そう思えば、自分のいい加減な会社生活も役に立ってるなぁと少しうれしい。
お母さん同士の人間関係っていうのは、まだまだこれからだけど、
とりあえずがんばります。