今日は少し真面目な話。
施設の母が、1月に大腿骨骨折で入院手術。1週間で退院。
驚異的なことに寝たきりにならず、歩けるまでに回復した。
3月下旬ころに、電話があり、他の人の部屋で排泄してしまったなどの報告がある。
退院してからだいぶ経っていたのだが、徐々に行動がおかしくなっていたそうだ。
のちに少しずつ良くなり、一種の「せん妄」という症状だったかもと言われる。
認知機能の低下がみられるとのことで、よそ様に迷惑をかける行為は施設でも困るらしい。そのとき、私は退院後にやめていたメマリーを飲ませていないからでは?とかなり強く訴えた。精神科の先生と会って、メマリーを復活させていただいた。これは自分の大きな過ち。
その後、トイレが近いということで頻尿を抑える薬、血圧が低くてふらつくのでは?ということで、血圧をあげる薬、さらに夜眠れないからといって睡眠導入剤、うつ気味だといって、抑うつ剤。6月ころに足にむくみがでて痛がっているとのことで、尿酸値を下げる薬、尿を出す薬・・・・そして母の食欲がなく、ふらつきはひどいとの報告が採算受け取るようになった。
「今日は数回転びました、目が離せません、車いすにお乗りになっていただいてます。」
とても心配だった。このころは毎週1,2回面会に行っていた。6月の中旬はむくみの薬が効いて、足は良くなっていたが、次の週は声に元気がなく、私と話すこともできずに小さい声で「帰って」と言われた。それが2週続いた。
施設の職員さんから、薬が多すぎるのではないかと思うので、内科医の先生にご相談してくださいと何回か言われた。看取りの一歩手前の状態ともいわれた。
食欲がなく、エンシュアという栄養ドリンクのみ。母の食欲は刻一刻となくなっていった。
もともと35キロくらいしかなかったので、さらに痩せていった。生命の危険を感じるくらいだった。それでも、私は踏ん切りがつかずに、もたもらしていた。
医者が処方してるのに、薬減らしてくださいと言えるのか。
職員さんが、私が来られるように午前中に医師との面会を設定してくださった。
お辛いでしょうけど、認知症の母には決断できないからご家族に決断していただくんですよ。この職員さんは、実は施設入居前からの知り合いだった。
施設の説明を聞きにいったとき、知り合いだったので、大変驚いたのだ。
なので、私はこの職員さん(管理者)をとても信頼している。
その日(7月2週目)母は、テーブルに突っ伏して、座っているのがやっとだった。かわいそうだった。ご飯をたべるどころではなかった。
医者との面談は、いわば「生きることをあきらめる」宣言のような感じだった。
薬をやめるということは、広い意味では延命を望まないということになるらしい。
これから具合が悪くなったときにさらなる検査を求めますか?
どのような最後を望みいますか?ここの施設でもお看取りを希望しますか?など。
母の命を自分が決めるようで本当につらかったが、私は母に延命は一切望まないと聞かされていたので、迷いはなかった。
その場合、救急車も呼ばないことを意味するらしい。
以前に血を吐いて倒れた方がいたそうだ。職員さんは、救急車を呼んだそうだが、運ばれる前に確認したところ、延命を望まない方だったので、救急車にはお引き取りを願ったそうだ。その方は数日後になくなったそうだ。でも、それがその人の意思。
もし病院に運ばれていたら、あれこれ検査して、管に繋がれ延命される。
そして、おそらく高齢者は二度と病院から出てこられないとのことだ。
母もそれは望まない。家には帰ってこれなくても、延命治療は断るだろう。
私は医者にはっきりいった。「ふらつきと食欲がなくなったのは薬の副作用だと思っています。もう一度母のふらつきをなくして、食欲を戻してあげたいんです。そしてて尊厳のある生き方をさせてあげたいです」尊厳のある生き方ってなんだろう。
少なくとも不要な薬のせいで命を終わらせたくない。
その意思確認が終わってから、医者はひとつひとつ薬を一緒に確認しながら減らしていった。2種類の薬を除いて、なくなった。
母に薬減らしたから、どうかもう少しだけ頑張って。本当に気づかなくて放置していてごめんなさいと大泣きしながら謝った。母はもちろんわからないけど。「わからないわからない」と言って、母も泣いていた。
原薬してから、1週間後面会にいった。母の足取りはいくらか良くなっていた。
返事もいくらか力が出ていた。なんとなくいい兆候だ。また母に謝った。おかあさんごめんね。薬のせいでつらかったでしょう。本当につらい思いさせてごめんなさい。
本当に数か月ぶりに明るい気分になった。
さらに1週間後、家を出ようとしたら、施設でコロナがでたので、面会禁止になったと連絡があった。とても残念だった。
母の様子を聞いた。「食欲も出てきました。お話もできるようになりました。
今日はお散歩にも行って、お皿吹きのお手伝いもしていただきましたよ。ご安心ください。」なんとなく不愛想に思っていた男性職員さんの言葉だった。
本当に涙がでるくらいうれしかった。母は回復したのだ。まさに死の淵から蘇ったのだ。
そして、すべて薬に副作用だということがわかった日でもあった。
さらに1週間後、電話。あまり知らない職員さんだったが、特に問題がございませんとのこと。
そして、1か月が過ぎた。入居当時から食べられていなかった主食も食べるようになったそうだ。体重も増えてきたので、栄養ドリンクをやめてよいか内科の先生にお聞きしますね。さらにうれしい報告だった。
早く母に会いたいな。施設に入れるときに身を切るくらいに辛かった。入れる前、母の認知症のおかげで地獄だった。施設が決まって入れる前に悩んで悩んで地獄だった。
入っても、自分の決断がよかったのか常に考えていたが、最近やっとここの施設に入れてよかったと思うようになった。
施設の職員さんたちも、こんなに元気になる例は初めてだそうだ。
飲んでた薬はなんだったのでしょう。
あの内科医はいい加減さを自分で証明した形になったわけだけど、本当におかしな医療。私は正直葬儀屋さんを探していました。
職員さんがいつも言ってる言葉。
「施設に入ったから終わりじゃないんです。高齢になったから終わりじゃないんです。認知症になったから終わりじゃないんです。
入居者の方から教えられることは、日々たくさんあるんです。」
はい、私もまだまだ母からそして施設の職員さんから学んでいることはたくさんあります。いつもありがとうございます。